人は死んだらどうなるのか?
生きている我々にとっては大変気になることですが、死んだことがないからわかりません!誰に聞いたってはっきりしたことはわかりません。宗教宗派その土地の風習などにより様々な考え方がありますが、どうなるんでしょう?
数えきれないほどある死生観の中から主なものを仏教に偏らず紹介します。
勝手にパターン化していますがご了承ください。
死んだらどうなるのか?無(つまりなにもない)
いきなりですが「無」禅の思想などに登場する「無」ではなく、死んだらそれで終わりの状態。魂という考え方もなく、意識がないままで夢を見ずに眠り続けているような感覚。
※「何もない」なのに寝ている感覚というのも例えとしておかしいですが。
全身麻酔の手術を経験した人ならわかると思います。身体切られてたのに気づかないくらいのふか~い眠り。
おそらく若い人に「死んだらどうなると思う?」とアンケートするとこの回答が一番多いのではないでしょうか?永眠という言葉もこの状態を暗示しているようです。
でも自分がいない世の中というのも想像がつきませんよね。両親の若い頃の写真を見せられた時に思いました。「この時って自分は存在していないのに確かに世の中は動いてたんだよな~」と
死んだらどうなるのか?死後 何かに宿るパターン
墓石、位牌、その他の物品に故人の魂が宿る。故人の念が篭るとかそういう考え方。年配の方には市民権がある考え方だと思います。
仏壇やお墓を購入する際「後々わしが入る場所やからなw」というデスギャグはよく聞きましたが…
人形は職人が心を込めて作るから魂が宿るんだ!
…これとはちょっと違いますよね?
墓の中にいる(墓石に宿る)
お墓にはお骨を納めます。なのでそこに死んだ人はいるという考え方。
故人やそれ以前のご先祖もお墓の中にいるので命日やお盆に手を合わせに行きます。(お盆はあの世から帰ってくる設定だったような)
墓石を建てる時、墓石に宿ってください!と「魂入の法要」を勤めますしね。
ただ浄土真宗では「墓石に魂が宿る」のではなく、お墓の建立は「お念仏の教えとのご縁を結ぶ場を作る」という考え方になり、魂入などとは言わず「建碑法要(建碑式)」などと言ったりします。
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浄土真宗のお墓について 建てる際に気をつけたいこと
浄土真宗式のお墓を建てる 地方による習慣もありますので絶対これ!という決まりはありませんが、浄土真宗のみ教えからかけ離れたお墓は建てないようにしたいものです。 推奨されるお墓の建て方 墓石の正面に「南 ...
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「お墓の中に私はいません」という歌が一時流行りましたが…
位牌に宿る(仏壇の中にいる?)
多くの宗派で位牌にも「入魂の儀式」を行います。「開眼供養」などとも言ったりします。
あれ?お墓にも開眼供養、位牌にも開眼…いったいどこに…という疑問は置いときます。
宗派によっては位牌は大事な魂の依り代です。震災の時に位牌をごっそり持って避難する人がテレビに写ったりもしました。
ただ位牌を作り、そこに戒名を彫って供養するという習慣は元々の仏教にはありません。
浄土真宗ではお位牌は必要ないといいますが本当でしょうか? 本当です! お念仏の教えに生きた浄土真宗の門徒は霊魂となってお位牌の中に篭もるのではなく「お浄土に還る(生まれる)」という考え方からです。 も ... 続きを見る
浄土真宗のお位牌について いらないって本当?お位牌のかわりに安置するものとは?
「位牌が故人の魂の依り代」という概念は儒教や道教に強く、仏教が中国~朝鮮半島から伝来する際、それに大いに日本仏教は影響を受けたと考えられます。
※ガチ儒教は先祖の位牌を何代にも渡ってずらりと並べて礼拝します。位牌=故人というような考え方なので、ドミノのように倒そうものなら殴られるかもしれません。
別の世界に行くパターン
死ぬと別の世界へ行く。天国、地獄、黄泉の国etc宗教宗派によって様々な呼び方の次の世界。
地獄だけは宗教宗派を超えて世界共通で存在するようです。生きてるうちに徳を積んどかなくては…
浄土に往生する
仏教の中でも浄土系宗派の基本的な考え方。阿弥陀如来の作った極楽浄土に仏として生まれるパターン。後述の輪廻転生は迷いの輪から抜け出ていない状態ですが、浄土に往生するとそこは苦のない永遠の世界。
そこからは上も下もなく、ずっと居続けます。いわゆる仏教的ゴールで、輪廻の輪から抜け出した状態、解脱(げだつ)というものです。
阿弥陀如来の極楽浄土が一番有名ですが、他の仏様が作った浄土も存在します。(どこにあんねん!と聞かれても困りますが)
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同じ仏教でも宗派によってこんなに違う!死後の世界観や行き先について
同じ仏教でも異なる死生観 仏教的死後の世界について 人は死んだらどうなるのか?どこへ行くのか?天国?地獄?浄土系宗派のお坊さんにお聞きすると"浄土へ往生する"と答えが返ってくるでしょう。 では他の宗派 ...
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極楽に往生した故人は楽~に暮らしているかと思いきや、還相摂化(げんそうせっか、げんそうせっけ)という考え方があり、阿弥陀様の浄土に往生したのち、迷いの世界に生きる者(我々)を導くという役割があります。
戻ってくるのはお盆に限らずというわけです。詳しくは浄土真宗のお坊さんに聞いてください。
あの世に行く(漠然と)
行き先は置いといてとりあえず死んだらあの世へ行く。あまりマイナスなニュアンスは含んではいない方が多いと思います。年配の人の支持率が高そうです。
今自分が生きている世界が「この世」なのに対して死んだらなんとなく「あの世」といった感じでしょうか。
極楽浄土、天国、民俗学的(後ほど)がごちゃ混ぜになったパターン。「迎えが来る」とも言いますが、それは阿弥陀如来の来迎図の影響を受けていると思われます。
もちろんお盆には家に帰ってきます。
天国へ行く、地獄へ行く
「天国」というワード自体が完全にキリスト教に影響されたものです。仏教式のお葬式の弔電や弔事でも見られます。「天国から私たちを見守ってください」
そこにお坊さんがいるのに…
※余談ですが「天に召される」「煉獄」もキリスト教ワードです。
キリスト教の教義的に大雑把に言うと、肉体は滅びてしまうが、魂は天に召される。天国で永遠の命を生きる。一度天国へ行くとそこはゴールで以後どこにも行きません。浄土へ往生するのと宗教の違いだけで仏教とほぼ同じです。
しかし地獄へ落ちてしまうとずっと地獄に居続けなくてはならないのが仏教とキリスト教の考え方の違いです。(仏教では地獄も永遠ではありません)
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何かに生まれ変わるパターン
細部はそれぞれ異なりますが、昔からこう考える方は多いと思います。お釈迦様が生まれたインド周辺では日本よりものこ傾向が顕著です。(ただしお釈迦様ははっきりとは死後のことについて語りませんでした)
お別れすることは悲しいことだが、死ぬと同時に何かに生まれ変わるので死後の世界で元気にやれるように「供養する」という概念は薄いそうです。
遺体は焼いて川に流して終わり。肉体は魂の入れ物で故人はとっくに生まれ変わっているので川に流すことで自然に還りめでたしめでたし。
てことはガンジス河で沐浴なんてした日には…読んだことはありませんが異世界ものの小説もこのパターンでしょうか?
輪廻転生し他の何かに生まれ変わる
※輪廻転生は他の何かに生まれ変わるパターンにカテゴリされるのか迷いましたが、前世の記憶があるのかないのか?総合的に考えてこちらにカテゴリしました。私の前世(信じてませんが)ゴミムシだったとして、その当時の記憶はありませんしねw
日本の一般的な仏教的考え方。生前の行いによって行き先が分かれ、六道の世界を行ったり来たりを繰り返す輪廻転生。六道と言うのは一番良い世界の天界~下はお馴染みの地獄などで構成されます。
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死者は四十九日までにいったいどうなるのか?
浄土真宗の四十九日(中陰)をご紹介しましたが、他の宗派では意味合いが違ってきます。臨終を迎えると死出の旅路につき、あの世で裁きを受けなければなりません。そこで重要になってくるのが残された者たちの追善供 ...
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一番いい世界である天界と天国は混同されがちですが別の世界。天界に生まれてもそこは永遠の世界ではなく、いつかは死亡し輪廻の輪に戻されます。
今私たちが人間でいられるのは、前の世界での行いの結果 人間に生まれてきたという考え方です。
人間界は苦しみも多いが、仏の悟りを得るチャンスが与えられた世界であると考えられています。修羅道は勝ち目のない戦いを帝釈天に挑み続け、餓鬼道は常に飢えと渇きに苦しむ世界です。
余談ですが、チベット仏教のダライ・ラマの前世もまたダライ・ラマ(先代)だそうです。前世の記憶もあるとのことですがどうなんでしょう。
漠然と他の何かに生まれ変わる
輪廻に近い生まれ変わりパターンですが、なんとなくニュアンスが違うパターン。次も人間に生まれるのを前提としたニュアンスが含まれるように思われる宗教思想関係なしのパターン。
「私は〇〇の生まれ変わり!」や「生まれ変わっても一緒にいようね」みたいなやつ。
人身受け難し(三帰依文より)というように、人間に生まれることは大変難しく、確率から考えるとゾウリムシとかバクテリアでしょうし、地球上のどこに生まれるかはわかりませんよね^_^;
幽霊になってこの世をさまよう
あの世に行かず、生まれ変わりもせずこの世をさまよう幽霊パターン。不幸な死に方をした人はその場所や建物にとどまる 事故物件には霊がいるというアレ。
あなたの知らない世界系の番組や恐怖映像にとらえられた幽霊は99%女性とイメージが固定されているのはご愛敬でしょうか。
※幽霊画で検索すると見事に女性の幽霊だらけです。
古くは江戸時代の幽霊画や皿を数えるお菊さん。新しいところだと貞子のイメージ。
その辺を漂っているのが浮遊霊ならこのパターンですが、建物や土地にとりついたものは地縛霊で何かに宿るパターンになりそうです。
柳田國男の民俗学的パターン
死んだご先祖は故郷の山の高みから子孫をいつも見守っているという考え方。山は元々異界で死者の魂が還る場所として崇められていていました。
子孫は死者を祖霊として供養し、見守っている死者も盆や正月には家に帰り交流しあう。
「柳田國男全集解説文を要約」
仏教とも漠然とあの世とも異なる柳田國男の民俗学的パターン
これってもろ現代の日本風お盆の原型になっているのではないかと思います。
ってことは「え~仏教では8月13日になると先祖の魂が還ってくるという考え方がありまして~」と言う坊さんはこれに乗っかってるだけ?
7月盆と8月盆があるのも生きてるものの都合ですしね。
※これはまたの機会に
一番市民権があるのが漠然とあの世に行くパターンではないでしょうか?お盆にはご先祖が帰ってくるから祭壇を用意してお供えをして…
天国にも地獄にも行って帰ってきた人がいないのでさっぱりわかりません
まとめ死んだらどうなるのか?
こたえは「ない」
実話なんですが葬儀場の跡地にアパートが建ちました。もちろん怪奇現象は起きたとは聞いたことがありません。
アパートが元葬儀場とわかっている近所の人は「霊が漂ってるかもしれないのによく住むよなあ…」とよくヒソヒソ話を聞きましたが、おそらく下記の様な感じでしょう。
知らずにアパートに住んでいる人は「新築だし気分がいい!」
知っててアパートに住んでる人は「幽霊なんて信じないから住んでるんや!」
葬儀場で葬儀をあげた遺族は「おじいちゃんは天国で見守ってくれてる」
葬儀場で葬儀をしたお坊さんは「故人は四十九日までは裁きをうけていますよ!供養しましょう!」
葬儀場で葬儀をしたお坊さん(浄土真宗)は「故人は浄土からあなたたちを導いてくれてますよ」
私は「安ければ今のボロ家から引っ越したい」
同じものを見ていても立場が違うと考え方や意見も異なる「一水四見」いうところのでしょうか。
死生観も仏教、神道、地域的なものすべてが混ざり合った結果だと思います。無関係に見えてもこの世のすべてのものは影響を受けあっているということでしょうね。