浄土真宗の誤解されやすいワード
暮らしの中でよく出てくる仏教語がありますが、本来の意味とは異なる意味で使われることも少なくありません。とくに浄土真宗では教えの根本にあたる語句がその傾向にありますので紹介したいと思います。
他力本願
他力本願は浄土真宗の教義にかかわる重要な言葉ですが誤解されることも多い言葉でもあります。
一般的に他人の力をあてにするという意味でつかわれますが、浄土真宗的に言うと「他力」は阿弥陀様の広大なおはたらきの力をしめすものです。
また「本願」とは人の欲望を満たす類の願いという意味ではなく、阿弥陀様が「すべての人を等しく救い浄土に生まれさせよう」と誓われた願いのことです。
この本願のとおりに人々を浄土に往生させ、仏と成らせようとするはたらきを「本願力」といい「他力」といいます。二つ合わせて「他力本願」となります。
昔から念仏の教えに生きた人々は阿弥陀様の本願のはたらきによる救いを「他力本願」という言葉で聞き喜んできました。
※ややこしいですが開祖の親鸞聖人も「他力とは本願力なり」と規定しています。
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往生
往生とは本来、読んで字のごとく阿弥陀様の本願により浄土に往き生まれることです。浄土真宗の考え方では「往生即成仏」といって往生(亡くなる)するとすぐに阿弥陀様に救いとられて悟りを開いた仏となるとされています。
日常で「往生こく」「往生こいた」と困り果てるとか苦労したなどの意味ではありません。
※主に名古屋弁だそうですが鳥取弁にもあるそうです。
私たちにとって大事なことは、この人生において阿弥陀様のおはたらきを受け入れることです。(阿弥陀様から信心を得て念仏する身にならせていただくこと)それはそのまま往生する身とならせていただくこととなります。
ちなみに「大往生」という言葉がありますが、浄土真宗の厳しいお寺様にお葬式やお通夜で「爺さん100歳やったで大往生やわ」とか言ってるのを聞かれると「往生に大往生も小往生もあるんか」と怒られますのでご注意ください^^;
悪人正機
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや(善人が救われるのだから悪人ならなおさらだ)」歎異抄で有名な悪人正機。
「悪人こそが阿弥陀様の救いのめあてである」という意味合いで、阿弥陀様から私たちに向けられている慈悲の心を表す言葉です。
善人と悪人なら救われるの逆でしょ?と思われたり、悪いことした方が救われるの?と誤解が多いワードでもあります。ちなみに最も誤解が生まれやすい悪人の意味ですが「本当は正しくありたい思っているが煩悩に遮られて、迷いの中で苦しんでいる人」という意味で、決して犯罪を犯すような悪人と混同するのは間違いです。
対して善人は「自分の力で善を積んだり修行によって悟りを開こうとしている人」という意味合いになります。この悪人と善人はしばしば病気に苦しんでいる子の姿を見る親の愛情に例えられます。子供は何人いても全員大事なのですが病気で苦しんでいる子にどうしても愛情を注いでしまいます。
親が愛情を注いでくれるからといって困らせてやろうとは思いませんよね?というわけで「悪人正機」の「悪人こそが救いの目当て」と聞いて悪いことをすすんで行ったり、悪いことをした方が救われると考えるのは間違った受け止め方です。歎異抄で親鸞聖人も嘆いています。
以上浄土真宗の誤解されやすい3つのワードを説明しましたが、ものすごく端折って説明した部分もありますが参考になれば幸いです。
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