浄土真宗の御本尊として礼拝の対象となる阿弥陀様(阿弥陀如来)とはどんな人でしょうか?
そもそも人なんでしょうか?(笑)
もちろん架空の人物ですが、浄土真宗のお経 正信偈(しょうしんげ)の中にその人となりを知るヒントが出てきます。
法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)~必至滅度願成就(ひっしめつどがんじょうじゅ)この部分は阿弥陀様のたてられた誓いのことが述べられています。
阿弥陀様の修行時代
まず法蔵菩薩因位時~の箇所から 阿弥陀様がまだ法蔵菩薩という修行者だった頃、どうしたらすべての人々を救うことができるか考えます。
五劫思惟之摂受(ごこうしゆいししょうじゅ)
それは五劫(ごこう)という大変長い時間にまでおよびます。
※一劫は空から天人が降りてきて、大岩を袖でそっと撫で、その岩が擦りへってなくなるくらいの時間×5=大変長い時間を表します。
五劫って時間かかり過ぎでしょ!
こんなに時間がかかったのは、私たち凡夫がそれくらい救いがたい存在であること。また、それだけ時間をかけたのだから間違いないだろうということを表します。
阿弥陀様がたてられた誓い(四十八願)
それ以降も読んでいくと、どんどん明らかになってきますが、阿弥陀様は考え抜いたあげく、ある誓いを立てられています。その48の誓いの18番目が↓
「私は、救いを求めて私の名前を呼ぶ人を、必ず私の国(浄土)に生まれさせます。もしそれができないなら、私は仏とはなりません」
簡単に言うと南無阿弥陀仏とお念仏をとなえる人を一人も漏らさず救うぞ。それができなければ仏にはならない!と誓いさらに長い間修行をして悟りを得て法蔵菩薩から阿弥陀如来になったということです。
※「菩薩」というのは、人びとを導き、救うために仏になろうとしておられる人のことです。
ちなみに阿弥陀様の仏像が前傾姿勢になっているのはこちらから救いに行くぞという心の現れだといわれています。
本来は姿がないものを敢えて形にしたもの
本山からご本尊をお受けすると、掛け軸の裏側に方便法身尊形とお裏書がされており、これは本来は目にも見えず、肌で感じることのできない阿弥陀様のおはたらきを敢えて目に見える形で表したものですよという意味になります。
※目に見えないと手を合わせようとなかなか思えないですものね…つまりウソも方便の方便ですね
阿弥陀如来の手の形にも実は意味が
阿弥陀様の指の形 丸を作っていますが、これにも実は意味があります。
右手は招喚の印といい「真実の世界に帰ってこいよ」
左手は摂取の印といい「必ず救いとるぞ」という決意を表しています。
阿弥陀様の方から私達を救おうと働きかけて下さっているのだと心に留めてお参りをすると、いつもと違った気分になるかもしれませんね。
関連ページ:阿弥陀様とお釈迦様の見分け方について