歎異抄の名場面 親鸞聖人!お念仏で本当に浄土へ行けるのですか?
歎異抄第二条より
親鸞聖人が東国を離れて年月が過ぎると、聖人がいないのをいいことに独自の説を唱えたり、曲解するものが現れ本当にお念仏だけで救われるのか?不安に思う者が増えてきます。
そこで、一部の門弟たちが東国よりはるばる都にいる親鸞聖人の元を訪れ疑問を投げかけます。
お念仏さえしていればお浄土へ行ける
お念仏は確かに我々が救われる手段なのでしょうか?
門弟たちは「その通り」とお墨付きをもらい安心したかったわけですね。
すると聖人は
わからん!
え~!
聖人曰く
私は南無阿弥陀仏とお念仏を称えること以外なにも知らない。それ以外に私が何か知っていると考えているのならまったくの間違いである!
浄土へ往生するための経文や理論を知りたいのなら興福寺や東大寺、比叡山に行けばそういう理論を知っている学者がたくさんいるから、そこで聞いて来なさい!
私は師匠である法然上人がおっしゃられた言葉だからそのまま信じているだけで、念仏が浄土へ往生する道なのか。あるいは地獄へ落ちる道なのか私は知らん!
たとえ法然上人に騙されて念仏したために地獄へ落ちたとしても、私はまったく後悔はしない。私が自力の行に励むことによって仏になれる身であれば、念仏を称えたせいで地獄に落ちたとしたら後悔もするだろう。
だが私には自力で厳しい修行を行い仏になることはできない。罪業深重の身のまま生きていたら必ず地獄へ落ちるだろう。地獄へ落ちて元々の身だ!
阿弥陀様の念仏する衆生をすべて救いとるという本願が真実であればそれを説いてくれたお釈迦様の教えがウソであるはずがない。
お釈迦様の説かれた教えが本当であれば、お念仏の教えを広められた善導大師の解釈もウソであるはずがない。
善導大師の解釈が真実ならば、善導大師を師と仰ぎ信じた法然上人の言葉もウソではない。
法然上人の言葉が真実であるならば私(親鸞)の言うこともウソであるはずがない!
(まさかの逆切れ!)
おっしゃる通りです
今ならパワハラ(アカハラ?)といわれそうですが…
現在よりも師匠と弟子の関係は強固であったと考えられますからこれは貫禄の勝利でしょう( ;∀;)
まあ明確こたえられないのも無理はありません。一度浄土へ行って帰ってきた人がいないのですから^^;
そう考えると浄土へ行ける!救われる!と言いきらなかったのは誠実であったと言えるかもしれませんね。
しかしこの後、本当に納得してもらえたのか?疑心暗鬼に陥った人がいたのかは定かではありません…
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